チャイニーズセットと、雑貨屋さん。


  14日。

  お盆休み二日目。

  〜

  今日はゆっくりした1日だった。

  昼間は友達とご飯を食べた。

  夕日が綺麗だった。


  夕方に家に帰ってきて、家族でオリンピックを眺めながら、

  夕食を食べた。


  父の昔話を聞いたりした。


  〜

  少し昔話を書きます。特におもしろい話しではないです。


   父が若い頃のスキーに行く話し、もう40〜50年前の話だろうか。。


   基本的に仕事の休みは日曜しかなかったらしい。

   もちろん車なんて、お金持ちしか持ってなかった時代、

   高速道路だってない。


   よってスキー場に行く手段はもちろん電車で、当たり前だがスキー道具一式を担いでだ。  

   日曜しか休みがないため、出発は仕事上がりの土曜の夜になる。


   その頃は、スキー客用の夜行列車が出ていたらしい。

   夜行列車と言ってもただ深夜に走るだけで、ベッドがあるわけでもない普通列車だ。

   車内はぎゅうぎゅうで、それでもなんとか床に座ったりして、

   寝ながら電車に揺られて行くのだ。

   しかも、早く着いてもスキー場なんてやってないから、

   止まり止まりゆっくり一晩かけて走って行くのだ。。


   そして朝方スキー場に着くと、各宿でちょうちんを持ちながら呼び込みをやっている。

   宿泊の呼び込みではない。

   朝飯を食べるのと、荷物を預かってもらうのだ。

   その朝飯というのも、おかずなんてない白米と味噌汁だけだ。

   宿は夏は農家をやってるので、米はたらふくあったそうで、

   米はおかわり自由だったそうだ。

   そこで父達はできるかぎり米を食べ、さらにおかわりし、

   端の方で隠れておにぎりにして、スキー場に向かったのだ。

   
   そして当たり前のように「リフトなんか使わないよ」と父。

   「自力で登って練習するんだ。」と。。

   
   帰りはまた同じように、寝台列車に揺られて帰ってくる。

   月曜はそのまま仕事に行くのだ。



   〜〜

   なんて強い人だ。と言うか、なんて強い時代だ。。


   その話しに母も乗っかって、話していた。

   母の話は蔵王の話しだった。


   車もすれ違えない、崖から落ちそうな雪道を走るバスに乗って、

   命懸けで山まで向かったそうだ。

   「スキーなんて誰も教えてくれないから、自分でやったんだ。」と母。


   〜

   なんなのだろう、 その強さは。。


   もっと見習わなければ。。

   俺にはもっとできる! はず!

   まだまだいろいろできる! はず!

   この両親の遺伝子が俺には宿っているのだから!


   〜